with Seijiro Kohyama

映画会ポスター

今までにたくさんのポスターを制作してきた。企業や行政の、商品やイベントなどのポスター、展覧会やコンサートなど自主制作を含む文化ポスター、またデザイン団体の主催する社会ポスター展への参加などが主なものであった。映画ポスターについては、関わりがないに等しい状態だ。
日本では、映画ポスターはスターたちが演じるワンシーンが絵柄になるケースが多い。誰が出演しているか、という写真が大切なようだ。しかしヨーロッパでは、映画、演劇、オペラ、バレエなどの文化ポスター分野の国際的なコンテストもあり、個人のデザイナーの優れた作品を見ることができる。私の好きなサヴィニャックも、数人の監督の何枚かの映画ポスターを残している。そこでは、デザイナーが映画の魅力(みどころ)を自由な発想で造形化し、見る人の感性を触発している。グラフィックデザインと映画のコラボレーションだ。俳優・女優を引き立てるためのポスターではなく、デザイナーが映画そのものや観客に対等に挑んでいる感じだ。誇り高くも見え、子どものように無邪気に遊んでいる様にも見え、とても憧れる。
そんな意味で、映画ポスターは一度はやってみたいのであった。

それは突然やってきた。2004年10月発生した新潟中越地震と郡上市をおそった水害の復興を支援するチャリティ映画会の告知ポスターを依頼されたのだ。上映作品は神山征ニ郎監督の「鯉のいる村」。監督のデビュー作で、鯉の養殖で知られる新潟県山古志村が舞台だ。
その他の主な作品には、出身地の岐阜が舞台の「ふるさと」、ご存じ「ハチ公物語」、野口英世を描いた「遠き落日」、戦争とピアノの対比が印象的な「月光の夏」などなどたくさんあり、良心的な名作が多く、大好きな存在だ。「郡上一揆」もそうで、岐阜県民にとても愛されている。
本来の映画ポスターというわけではないが、この話がきたときには、心が踊った。それは、敬愛する映画に立ち向かうちっぽけなデザイナーの気持ちだ。おもいきりやりたい。
制作のための資料は、あらすじと5、6枚の写真を受け取っただけ。漠然と映画のイメージは頭に浮かんだが、内容に縛られデザインがはじけない。まず、「鯉のいる村」というからには鯉を描こうと思い、鯉の絵や、鯉と子どもを重ねた絵を何枚も描いた。でもなぜか物語性を与えられなかった。
少しそのままにしておき、ある日、男の子と女の子の絵を描いた時、主人公は彼らの初恋の物語であることに気付いた。その時「鯉のいる村」がもつ力強い引力から解放された。映画会で実際の映画を見た時、ポスターのイメージはピッタリで、映画とポスターが絶妙にかみ合ったと感じた。

映画会のあと、「神山征ニ郎監督を囲む会」を、主催者の行きつけの居酒屋ですることになり、監督と話ができることになった。実は同じ高校を卒業している。何年か前に、高校の同窓会の総会のとき、講演を終えた監督とわずかではあったが話ができ、大変に感激をした思い出がある。
飲み会では、映画のこと、岐阜のことなどの次にこのポスターの話に話題が移った。監督は、この映画が生まれてから約30年、何かにつけこの作品につきあってきただろうし、素敵なチャリティ映画会だが全国でも同じように行われているから、一介のポスターにことさら関心は持たないかな、と思っていた。しかしその監督から「いいポスターですね!」といううれしい言葉をもらい、事務所の宮川さんとガッツポーズをした。眼に留めていただけたことがうれしかった。おもってもみない評価を受け、やっぱり文化人は眼の付け所がちがう、わかる人にはわかってもらえる、とおもいきりはしゃいだ。
次々と映画についての話題でもりあがった。僕が「レンタルビデオで監督の作品をたくさん見ました」といったら、そばにいた友人が、「映画は劇場で見ないと」と言った。それはそうだ、と恥じていたら、監督が「ビデオでもうれしいね」といったその一言にやさしさと気品がにじみでていた。映画監督というのは、徳があってこそできるのだと思った。これから作る、見たこともない作品に、とても人やお金が必要で、それを集めるのは信頼とか期待とかのその人自身の価値しかないのだ。すごい職業だ。
飲み会のはじめは、みんな遠慮してちょっと遠巻きにしていたが、終る頃には監督は人気者になっていて、ポスターにサインをもらうなど、サイン会の様になっていた。

映画会の時、実際に使用したポスターは予算や掲示場所のこともあり、B3サイズの小型であったが、コンクールに出せるように、最近になってB1サイズのシルク印刷をした。早速その1枚を、監督に送ったら、即座に「信州アトリエにかざります」との返事をもらった。このうれしさを、一人心にしまっておかずに、みんなに聞いて欲しかった。

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