遭遇社会ポスター、1979。 ―そしてAction Cへ
私の社会ポスターとの出合いは「バグダット国際ポスター展1979」に出品した時のことだ。このコンペのスポンサーはイラク情報省で、主催はロンドンにあるイラク文化センターだったが、現在の中東状況からは想像しがたいものがある。
出品はかなり単純な動機からで、その頃ちょうど地元で同業者の団体が設立するなど、みんなでポスターを作って出品しよう、という熱が高まっていた。昔「日宣美」という団体があり、デザイナーが日宣美展に出品して入選すれば、世に一人前と認められた、という慣例に倣ってのことである。
「バグダット国際ポスター展1979」の募集テーマは2つあり、1つ目は「文化的・政治的解放のための第三世界の闘争」、2つ目は「パレスチナ―拒まれた故国」だった。第三世界という言葉は、今となってはあまり使われないが、冷戦時代のアメリカ・ソビエトの2大勢力傘下に属しない、途上国や貧しい国のことをいっているのは知っていた。だがパレスチナに関しては余りにも知識や思い入れがなくどの立場で何を言えばいいのか想像もつかなかったので、自動的にテーマは選択された。初めての社会ポスターの制作はこんなあいまいさの中で考えた。
この時の「INDEPENDENCE」というポスターは闇を背景に国家としての意志を象徴した細長い人物のシルエットなど最小限の要素を用い、左右の勢力から翻弄されることなく、自立した国であれという願いを込めて制作した。
しばらくするとカタログと最優秀の作品が送られてきたことで、初めて海外のポスターコンクールで入選したことがわかった。(その時は外国の事情がいまいちつかめなかったが、後に入選すれば通知があり、落選は何もないことを知った。)
最優秀作品はポーランドのマリアン・ノビンスキの「Pablo Neruda」という作品だった。
それは写実的なイラストで、ノーベル文学賞を受賞したチリの詩人パブロ・ネルーダの書物が太い釘で打ち付けられている、という強烈なビジュアルだった。そのことからテーマは表現の自由、主義主張や人権の解放と思われる。
ねじれた太い釘はいきもののようであり、自由を奪われたはずの書物はかえって存在感を漂わせていた。あえていえばグロテスクで、当時私の持っていたデザイン感の、ソフトタッチにかつ美しくイメージっぽく…という美意識とは隔たりのあるものであった。しかし、この作品のもつ迫力はリアリティを越えており視覚言語に訴えかけた。
当時はこの作者の名前は知らなかったが、後に日本国際ポスター美術館で「ポスター王国ポーランド展」を開催した折にポスターを見、また著名なデザイナーとして活躍していることを知った。これが私の社会ポスターとの初めての遭遇であり、海外のポスター・デザインとの出会いでもあった。このポスターを長い間、仕事場の壁に貼っていた。
さて、しばらく年数を必要とするが、中東に関する印象的なポスターに出会えた。フランスのピエール・ベルナールの「2つの国2つの首都エルサレムを分かち合おう」(1997)という作品だ。これはまさに1979年の私が出品していない方のテーマにぴったり当てはまるものかもしれない。
ビジュアルを説明すると、イスラエルを象徴するザクロと、パレスチナのオリーブが根元でつながっているのを2つの手が支えており、民族の共存をテーマとしている。
こちらはマリアン・ノビンスキの力強いリアリティとは異なり、アイデアもビジュアルも洗練されている。しかし両方に共通していることは内容が具体的なものに触れられているということだ。私が社会ポスターを考える時、いつも頭から離れない。
あれから何年も経っているが、わたしのあの時の答えはいまだに出ていない。というより考えられない。
どうもそこをつっこむのは日本人は欧米人より苦手なのではないかと思うようになった。日本は原爆を落とされたり沖縄が戦渦にまきこまれたりしたが、戦いの記憶は遠い。それに比べヨーロッパは全体が戦場となったし今もすぐそこでは戦闘が行われている。ポスターでメッセージを伝える際も具体的で差し迫ったものを必要とするのかもしれない。でもその違いは優劣ではなく人の心に届くかどうか、という所だと思う。
話は時間を少し戻って、その後の私と社会ポスターとの接点は日本グラフィックデザイナー協会主催の1983年に始まった「平和ポスター展」などに出品したこと、そしてU・G・サトーさんが企画したフランスの南大平洋核実験に抗議するFAXポスターに参加したことである。
このFAXポスターというのは、デザイナーに呼びかけ、即興で考えたメッセージポスターを1週間ほどの間にFAXで収集するというもの。集めたA4のFAXを拡大コピーし、現地のフランス人の協力によってシャンゼリゼ通りを百数十枚のポスターが行進した。
普通、社会をテーマとしていても日本では美術館やギャラリーで展示することがほとんどである。十九世紀末、アートが一部の人たちがサロンで楽しむものから、多くの市民のものとして街頭芸術に変化していったということを思い出し、そのことと記憶を重ねる。
この行為は常識を越えた行動力だったし、私を含め出品したデザイナーは新しい表現の可能性に勇気をもらったかもしれない。
その後、日本国際ポスター美術館においてもFAXアート「戦いと平和・未来の世界」ポスター展を企画すると外国からも作品が集まった。
これらのことをヒントに2年前の「Action A」のFAXアート「LIFE & PEACEー今(ここ)から私は…」を企画してみたが、今回の「Action C」に活動が継続し拡大していることを思うと、アートが人とひとをつなげたと言えると思っている。 いま私にとっての社会ポスターとは何かを考えると、制作者の視点を明確にすることが大切と思っている。
マリアン・ノビンスキ、ピエール・ベルナールの作品に共通していることは、みる人に感動を与え、心からの表現でありメッセージとなっている。
私がポスター・デザインで表現しようとしているのは、ちいさないきものたちががんばって生きているようすである。
少しおおげさかもしれないが、愛とか優しさ、自由、楽しさ、明るさを見る人に伝えられたら、またユーモアという、目に見えないけれど大きな心の世界を表現できたらと思っている。
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